- 森本 虎太朗、川田 蒼真、大熊 淳史、下河 飛鴻
令和4年度入学
【森本虎太朗】
父の仕事に憧れを・・・。僕の父は理学療法士で、幼い頃からよく仕事場に行っていた僕は、父が患者さんに感謝されている姿を見てきました。その頃から父のように人の役に立ち、感謝される仕事に就きたい!そう思っていました。高校2年生の秋・・・野球部が僕ら中心の代になり初の大会直前、右手舟状骨を骨折しました。小学生から野球をしてきましたが、初めての大きなケガ、しかも自分たちが主体のチームになって大事な時期ということもあり、とても悔しく思いました。そんな時、病院の理学療法士の先生とリハビリを一緒にすることでとても勇気づけられ、改めて理学療法士がやりがいのある仕事だと再確認できました。理学療法士になって、スポーツ選手から高齢の方まで幅広い人たちの役に立ちたい!患者さんに寄り添い、感謝される、そんな理学療法士になりたいと思います。
【川田蒼真】
僕は何故か小学生高学年の頃から理学療法士になりたいと言っていました。それはきっと名前の響きがカッコイイと感じたからだと思います。そんな僕が真剣に理学療法士になりたいと思ったのは高校3年生の時でした。僕は小学生の時から野球チームに所属していて、ずっとピッチャーをしていました。高校に入るまで大きな怪我など1度もした事がなく、いつも全力でプレーをすることができました。しかし、高校2年生の時、球の投げすぎで肘の内側側副靱帯を損傷し、試合で思うようにプレーをすることができなくなりました。ずっと痺れていてもマウンドから降りたくなく、我慢して投げていました。
しかし、限界がきて病院へ行くとその時にはもう手遅れで、プロ野球選手などがしているトミージョン手術などをしないと完全復活は絶対にないと医師から言われました。しかし、メスを入れてしまうと最後の大会にギリギリ間に合うかどうか分からないと言われたので、少しでもマシになるのならば・・・と思い、リハビリに通うことにしました。そこでは、元野球部の理学療法士の方が担当してくださり、試合や練習ができず、落ち込んでいた僕にまずは心の面からリハビリをしてくれました。そのおかげでリハビリのモチベーションが上がり、自分でも頑張って復帰しようという気持ちになれました。またリハビリでは体の柔軟性を上げたり、肘に負担がかかりづらいようにフォームの改善をしました。徐々に痛みがマシになってきて、先生と久しぶりにキャッチボールをした時は本当に嬉しく、その感動は今でも覚えています。僕も担当してくださった理学療法士の方のように、少しでも早く患者さんが社会復帰や現役復帰でき、感謝されるような理学療法士になりたいと思い、四国医療専門学校で勉強を頑張っています。担当してくださった理学療法士の方を目標にこれからも仲間と勉強を頑張ります。
【大熊淳史】
私が理学療法士になろうと思ったきっかけは、高校時代に野球部に所属しており、その際怪我をしてしまい、理学療法士の方が優しく寄り添ってくれ、怪我を治すことができたことです。その時に私も怪我をしてしまった人や病気で歩くことができなくなった患者さんを少しでも早く歩行が可能となるようにしたいと思いました。患者さんの笑顔が、私の将来の生きがいになっていくと思ったからです。これから実習が始まります。実習では、医療現場での理学療法士の仕事をしっかり理解したいです。また、患者さんとどのようにコミュニケーションをとり、患者さんとの距離を縮めていくのかも勉強したいです。勉強面ではどんどん学ぶことが多くなり難しくなると思います。それでもとても仲がいいクラスなので、みんなで支え合って夢である理学療法士になれるように1日1日を大切にして頑張ります。
【下河飛鴻】
僕が理学療法士になろうと思ったきっかけは、高校野球をしていた時に怪我の予防や試合で投げすぎた時などのケアやサポートをしてくれた理学療法士のOBの方と出会ったことです。丁寧なケアやサポートしていただいて、「僕も理学療法士になりたい」と思いました。僕のポジションはピッチャーで野球では1番目立つポジションですが、裏では一番怪我の多いところだと思います。肩や肘などの複雑な関節を使用するため、それだけリスクは大きく、それにより選手生命を絶たれた人も多いと思います。僕が理学療法士になったら、怪我の予防やケアを行なうことで、野球だけでなく様々なスポーツにおいて怪我の影響でプレイができなくなるということを少しでも減らしていきたいと考えています。部活をしている時は選手で主役の立場でしたが、次はサポーターのポジションに回わり、たくさんのスポーツ選手を救える理学療法士になりたいです。
2023年8月