- 泉輝広、宮本海優人、笹尾祐太、石原翼
令和3年度入学
【石原翼】
僕は中学・高校と柔道をしていました。なんとなく始めましたが、友達と練習に励んでいくにつれてその楽しさを知り、6年間毎日練習をしていました。スポーツにはケガがつきもので、僕も6年間で左鎖骨の骨折や右肩の靭帯を切るという大きなケガをしました。その当時はもう柔道を辞めてしまおうかと悩みましたが、リハビリを続け、ケガも治り、楽しんでいた柔道を続けていこうと思うようになりました。そう思えたのは、お世話になった理学療法士の方のおかげでもあります。僕が辞めようかと悩んでいることを伝えると、「一緒に頑張って治していこう、絶対よくなるから!」と言われ、この方と一緒に頑張って治していきたい!と思いました。そしてさらに、この方のようになりたい!理学療法士を目指したい!と将来を考えるようになりました。
今はまだ勉強途中の2年生で、勉強はとても難しく、ついていくのがやっとです。まだまだ理学療法士になるには長い道のりで、これからもっとたくさんの事を学ばないといけませんが、国家試験に受かるように4人で支え合いながら頑張っていきたいと思います。
【泉輝広】
僕が理学療法士という仕事を知ったきっかけは、中学生の頃に柔道でケガをして、理学療法士の方に手術後のリハビリをしてもらったことです。中学2年生の冬にケガをして3年生最後の総体も近かったため、焦りや不安がありました。そんな不安を抱える私を、励ましながらリハビリをしてくれた理学療法士の方には感謝の気持ちでいっぱいです。そして無事にケガも治り、大会に出場することができました。
私は幼い頃、警察官や体育教師、消防士などなりたいと思う職業は色々と変わり、定まっていませんでした。しかし四国医療専門学校に入学したからには覚悟をして勉強しようと決めました。入学当時は実際にどのような仕事なのかあまり分かっていませんでした。しかしこの4人をはじめ、クラスの仲間たちみんなで同じスタート地点に立っていると思うと心強く感じることができました。
体の構造や病気、ケガについてなど、勉強しなければいけない内容はかなり多く、まだまだ時間はかかります。これから壁にぶつかることもあるかもしれませんが、友人や学校の先生に頼りながら国家資格取得を目指してがんばります。
【笹尾祐太】
僕は12年間という長い柔道人生の中で、膝の靭帯の断裂や半月板の損傷という、とても大きなケガをしてしまい、手術も2回受けました。2回目の手術を受けた時には、もう一生大好きな柔道をすることはできないのかな・・・と思ったこともあり、柔道に復帰する自信も無くしていました。そんな時にずっと近くでサポートしてくださったのが、担当の理学療法士の方でした。ケガの当事者である僕以上に、柔道の特性を踏まえた動きのトレーニングなどを研究して教えてくださり、高校最後の総体には必ず出場しよう!という目標に向かい、いつの間にか前向きにリハビリをすることができていました。そして最後の総体に出場することができた時、次は僕がケガで困っている人を助ける理学療法士になる番だと思い、四国医療専門学校に入学しました。
勉強がとても苦手で苦しい時もありますが、そんな時には柔道で良い関係を築いてきた仲間たちに励まされ助けられながら、みんなで国家試験合格することを目標に頑張っています。こんな恵まれた仲間たちとともに、日々笑顔で何事にも全力でこれからも頑張りたいと思います。
【宮本海優人】
僕たちの原点は「柔道」です。僕たち4人はライバルで、お互いに練習や試合では強く意識していました。そんな中、自分自身や相手のチームでケガをしている人が増えたなと感じていました。ケガで練習や試合ができなかったり、手術をして苦しんだりしている仲間やライバルを見てきました。ケガをして柔道ができないという経験は自分自身もありましたが、それ以上に仲間やライバルが柔道をできないでいる姿を見るのが大変辛く感じていました。そこで僕は、そういった方のリハビリを行うことで競技に復帰してもらい、もう一度活躍する姿を見たい!と思いから理学療法士を目指しました。
理学療法士になるために入学した四国医療専門学校では、中学・高校のライバル・仲間がいました。同じ柔道をしていたこともあり、僕たち4人の絆は深く、学校生活を支え合いながらこの1年間を過ごしてきました。これからもこの仲間たちと、笑って、励まし合って、共に成長しながら、四国医療専門学校という恵まれた環境で充実した学校生活を送っていきます。
2022年9月